神学者たちの主張とは?

キリスト教、特にカトリックの神学者たちの基本的なスタンスは、性は神のたまものであるということです。神に導かれて愛し合い結婚した男女が、心と身体を結びつけるための行為がセックスであり、神に対して心から誠実であろうとするなら、男女が互いに対して誠実であらねばなりません。性欲は精神でコントロールされるべきもので、結婚以外の性的関係はあり得ません。セックスは子どもを作る行為であり、オーガズムはその過程における神からのプレゼント。性欲を満たすためだけの性行為は道を外れた行為です。

【性教育はしつけられるもの】

性は正しい教育によって精神の力で制御されうる、されるべきものと考えられています。正しい性生活には、「結婚の決断」について正しい教育がなされ、人間の性的な衝動は精神化されなければなりません。男女、夫婦、結婚というものについての「愛」の教育がなされれば、不埒なセックスは生じえないと考えます。神の前で誠実にあるカップルは、お互いに奉仕しあう精神を持つべきで、愛とは互いに対する献身です。男女の愛情のベースには神に対する信仰があり、神によって祝福された宗教性にまで愛を高めなければなりません。

欲望のままにセックスすることは、神に対する誠実さを損なう行為であり、配偶者がいる場合、相手に対する裏切りは神に対する裏切りとなります。性欲は意志の力でコントロールすることができるもので、制御できなくなれば神への誠実さに欠けてしまいます。男女は互いの人格を認め、真に自由な交わりを求めなければならないと考えられています。

【結婚以外の性的関係は神の前ではあり得ない】

セックスは人に与えられた「子づくり」のための行為と考えられています。結婚によって永遠に結ばれた夫婦においてだけ認められるもので、性的関係は第三者が決して入りこむことのできない排他的関係です。愛し合い結婚したふたりだけの、魂と肉体の深い結びつきを前提とした関係の中でのみ、性行為は行われるべきもの。したがって、それ以外の男女、あるいは同性同士が結ばれるということはあり得ません。

神に従うという決断においてひとつとなったカップルの間でだけ性関係は認められるものですので、不倫は神に対する裏切り行為。結婚していない男女が性行為を行うことも、神の前では認められません。セックスは子づくりのためのものですので、避妊は目的外行為となります。堕胎(中絶)も同じです。

神学者たちの基本的な考え方は、セックスは神の前で結婚と永遠の愛を誓ったカップルの間にだけ認められるもので、それ以外の関係における性行為は認められません。すべて、神に対する裏切り行為となります。性交はあくまでも、子どもを作るための行為とされています。

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