人を愛するとは?

愛することとは何か、という問いに対しては大人でも答えられない人は少なくないでしょう。中学生、高校生の子どもたちが、まともに答えられないことは容易に推測できるはずです。それなのに、セックスを「快楽の性」と「生殖の性」とに分け、「愛していれば」「自分で責任をとれれば」いつでもどこでも自由に性交渉を持って構わないという風潮があります。子どもたちは性行為のリスクを冷静に考えることもなくカジュアルにセックスをしてしまい、少なからぬ人たちが、思いもかけず妊娠したり性感染症にかかったりしてとても困難な状況に陥ります。

【性は二人だけの問題ではない】

学校の性教育の現場でも、妊娠や性感染症のリスクについて最低限の指導はしているはずですが、頭では理解できても実感として危険性を感じることは難しいでしょう。100%確実な避妊法はない上に、好奇心に引きずられがちな若者達はかなり高い割合で避妊をしないで性行為に及んでいます。性の営みは他人が入り得ない二人だけの人格的交わりと言えますが、その結果はふたりだけの問題では終わりません。新しく誕生するであろう新しい生命の「人権」についても、考えなければならないからです。

愛の根本は、単に「相手を好きだ」であるだけでは足りないでしょう。相手を心から大切にする、という気持ちがなければなりません。相手を大切にするということは、相手の身体にも、将来生まれるであろう子どもに対しても責任を負うことをも含んでいます。セックスは二人だけの問題ではありません。愛する相手の未来をも大切にできるという確信が必要なのです。

【愛は人格形成の教育】

豊かな性的関係を築かせるための教育は、生まれたときから始まっていると言えるでしょう。性教育は一種のしつけです。心から相手を愛し大切にする気持ちを持つこと、生涯にわたって一人の相手を愛し続ける心は、人格形成過程において培われるものだからです。人にはそれぞれの発達段階において人格形成の課題があり、幼少期から青年期にかけて、真に人を愛し親になる準備を進めていきます。したがって、人格形成の課題をクリアできていない青少年が「セックスは個人の権利であり、自由だ」とだけ教えられれば、危険な方向に進んでしまっても仕方がないでしょう。

性は、感情的にではなく理性的に人を大切にすることを教えなければなりません。「人を好きになる」という恋愛感情には、他人を大切にする思いやりや誠実さ、自分のわがままな感情をコントロールする術などが必要であるということを教えるのも、性教育と言えるでしょう。

「愛していればセックスは自由」というだけの性教育では、子どもたちを大人にすることはできません。「やりたいときにする」という現代の風潮は、数多くの十代の中絶や性感染症の子どもを作りだしています。愛とは他人を大切にすることであると教えることが大切です。

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